馬鹿につける薬は無い

このところ、あまりにも頭にくる事が多いせいか、こういったタイトルはかなり過激に思えます。


実際のところ、私とやりとりした経験のある諸氏はわかると思いますが、対応として言えば
「いい人」と思うか「最悪」と思うかの両極端でしょうか。


このところ、ある会社から届いたメールを読み怒りがこみ上げ、その後faxを送ったら返事がメールで届く。
かと思いきや、電話をかけて内容を質すが、内容は流し読み程度で何も見ていない。


私自身は「わからない奴にいくら説明しても無駄」なので、「おまえには教えるつもりは無い。だから探せ」と突っぱねる。
さらに私はこう続けた

「別に問題があるからと言って、俺は困らない。だからどうでも良い」


この言葉の裏返しには、「こんなじゃダメだ。言われたくなければもっと発憤すべきだ。」と言いたいが、どうしても立ち向かうと言うところか、そんな精神論など通じるはずも無い。


技術的な問題は、私が担当者を呼び出して、一言二言告げればそれで概ね片付く。

これに至ったいきさつは次の通り

〜このいきさつのきっかけを以下に詳説する〜

本来、相手に期待するからこそ苦言がでるのだが、説明する言葉が伝わらない事が一番頭にくる。
なぜ、客が業者に遠慮しなければいけないのか?
と言う思いが年々募っている。
金を払った上で、相手に気を遣うのは本末転倒に思えて仕方無い。

先日の日記でも書いたが、「お互いの気持ち」が通じ合えば多少のトラブルは「迅速」に解決し、その問題もしっかり対応できるだろうと思う。

ただ、それができない状態になれば私ならば「さっさとやめてもらって結構」くらいの態度で臨む事がある。


過去にも同様な事件があった際に、私は相手にこう言った。

「私だけが使っているならば、とっくにやめている。しかし、ほかにも多くの利用者がいる以上、そうはいかない。現実をよく見て考えていただきたい。」と切り返した。

さて話を戻そう。

このような思いは、実際のところ、日頃のお礼をかねて贈答しても当事者からは、なしのつぶてで届いた返信はおろか電話もメールもない。到着に関しては、運送会社からの配達レポートで確認したくらいであるから、情けない話だ。


IT業界に限らず、ビジネスでは「現実主義」を無視して経営をダメにする事は多々ある。
知り合いつてと言う「お友達感覚」ではビジネスは成功しない。
経営をダメにする一つに「現実主義」を無視したところにある。

口やかましく言う内は、まだ良い。


本当にダメだと言う時は、何も言わない。相手にしない。


つまり「馬鹿につける薬は無い」訳で、これは私自身も痛いほど経験した。

むしろ、二度と経験したく無い思いで今この日記を書いている。


<結論>

勿論、企業は生き物である故、いずれやめると思う。
それは私の会社にも当然ながら言える事ですし、一日でも長く、一人でも多くのお客さんにご愛顧いただける様、取り組まねばいけないと思う訳です。

馬鹿につける薬は無く私は「ダメだ」と自分の中で思ったら、そっとしておくだけです。

残念な話ですが、今後の事を考えると「時間をもっと有効に使おう」という理論はわかる。
ただ、こういった「無駄」も大事では無いか。と私は思うからです。
続ける事は口で言うほど容易い事ではありません。

考えさせられる瞬間でした

— posted by admin at 10:00 am   pingTrackBack [0]

ビジネスに役立つ3つの考え方

パソコン屋を初めて早10年以上が経過し、気づけば自由気ままが板についた感じすらします。


その中でとあるfacebookに書いてあった「会社説明会のであなたを見てる」というテーマを読んだ時にふと思った点をまとめたいと思います。(既にその記事は削除されていたのでニュアンスをかえない程度に列記します)


*訪問時間を見てます
*ノートなどの準備品の置き方を見てます
*質問の内容を見てます
*身なりを見ています
*視線を見てます
*帰り際を見ています

※多少表記は異なりますが、概ねこういった内容です。


上記の事をさらに私は次の様にコメントしました


「ニッパチ」である
「ルーチンワーク」である
「音叉(おんさ)」である


この3つを念頭に置きながら、特にニッパチとは何だろう?と言う点は次の言い方ができます


*ニッパチ
いわゆる「パレートの法則」に基づく考え方で、「8割の入念な準備」
つまり、訪問時間を見ているとは「事前に訪問先までのスケジュールを管理している」という考え方に基づきます。

*ルーチンワーク
この言葉を日本語に置き換えると「習慣・当たり前の動作」という言い方になります
つまり、帰り際の態度等は、どうしても日頃の習慣がもろにでる部分で、付け焼き刃で何とかなるレベルで無い事。
日頃の積み重ねである事の現れです。


*音叉(おんさ)
これは、物理の世界では「共鳴」という言葉が有名ですが、相手の言葉にどれだけ感銘を受けられるかといって過言ではありません。
打てば響く金属のように、自分の思いが、相手に伝わる思いこそがまさに、共鳴の基本であり、音叉は、ピアノやギターの調律に使う道具です。(最近は、チューニングツールを使う為か、音叉を使うケースは減っていると言います)


つまりどんなきれい事を言っても、ダメだということ。

顧客とより良い関係を築くには、「共鳴」の関係を作る事に他なりません。
すなわち、共鳴し合う関係は、良い「ハーモニー」を奏でる関係である。そこに不協和音が響くのはやはり良い事とは言えないからです。


ルーチンワークに言える内容は次の事も含まれます
*あいさつができる事
*身なりが清潔である事
*時間を守る事

等があげられ、特に会社説明会などで帰り際を見ているという言葉は、実社会に出ても同様な意見がある故、決して他人事に思えない事の一つです。


私は、相手と話をする時は、「3つの質問がある」と言う切り出し方をします。

そうすれば、だらだら話をする訳でなく
「1つめ」
「2つめ」
「最後」と言う流れは仕事の流れから見てわかりやすく、相手に伝えやすい点にもなるからです。

何かの参考になれば幸いです

— posted by admin at 10:00 am   pingTrackBack [0]

言うは易しく、するは難し

新しいサービスが始まって書いてある決まり文句が「ご意見・ご要望があれば是非寄せてほしい」という一言。


現実問題、そういった事に声を上げて提案してくれる人は残念ながら皆無に等しい。
なぜならば、他人の事など興味は無く、日常業務で精一杯であるからだ。


他人の事など個人的な意見として言えば「どうでも良い」訳で、ただ声を上げて言わねばいけない点は、不利益を被るのは勘弁してほしいだけで、それ以上の感情はない。
ただ、「不便だから何とかしてほしい」というのは、誰にでも言えるが、逆に「ここをこのようにすべきだ」という指摘は、それ相応の知識と経験が無ければ無理だと言うのは意外と気づいてないのが現状だ。
久々、問題点をさっと拾い上げ10枚程度のレポートにまとめた。
添削してやりとりをするのに適しているのは、メールよりファクスが良いのはこのようなご時世だからこそ言える。


相手にしてほしいと思うならば、どのようにしたら良いか具体的に提言すべきだと言う意見に異論はない。


当面の課題は「無理をしない」「無駄をしない」と言う事に心がけ、自分のペースを保ちつつ、邁進するしかないだろうか。

— posted by admin at 10:17 pm   pingTrackBack [0]

iphoneのライフスタイル

facebookのタイムラインやtwitterのコメントを流し読みしながら考えて見ると面白い事実が浮かび上がる。

softbank版のiphoneとau版のiphoneは通信方式が違う為か、通話しながらのデータ通信に不満を感じるという。


実際問題私の場合は、auとsoftabnkを主に使っているが、データ通信はiphone(ソフトバンク)を使い、通話はauと言う組み合わせは、傍から見ると無駄に思えるのです。

この点だけ見れば、au版ないし、softbank版のihone1つあればたりるのでは?と言うのが正直な感想である。


実際携帯電話を2台もちする意義が近頃薄れてきた感じである。

その理由は至極単純な事で、「通話する相手が限られてきた」という点であろうか。

softbankのホワイトプランが1時〜21時まで基本料のみで定額に対し、他の会社は無料通話のパックプランが一般的である
(一部の料金プランを除く)

そうしたときに、一番利便性が高い会社はどこになるのか?考えて見ると

softbankよりもauかもしれない。

私の場合は、やや特殊な使い方であるが

softbankの相手にはsoftbankでやりとりをし、それ以外はauと言う流れだ。

さらに特定のauユーザと事務所には「定額+無料通話」の組み合わせで月額が最低限で済むのも魅力である


auはiphoneにした場合でも、そういった料金プランの選択ができるのは魅力的だ。


softbankはそういった点で、すべてがパッケージングされているのである意味選択肢がない。

選択肢が無いと言う事は決して悪いとは思わない。

なぜなら「そのプランがベストであり、ほかを選ぶ理由がないから」だ。

auに関しては、多くのニーズに応えるべく料金プランを増やし、ソフトバンクはあえて自社囲い込みをメインとし、他の会社へ通話するのは減らし、着信を増やす目的がそこにあるからだろうか。

ユーザ数が少ないソフトバンクはそういった面で行けば、利便性の高い会社といって間違いない。

今後900MHzのプラチナバンドがスタートしていよいよ会社間の違いはなくなる。

このときに初めてどこの会社が良いか真価が問われる時が来ると思う。

— posted by admin at 08:16 pm   pingTrackBack [0]

名物教官回顧録〜故草野正一先生

学生時代の自分をふと思い出すのが、当時の写真。


先日、某高校へ足を運び当時の担任らと話す中で、社会科教諭の草野氏Link の話になった。
10年くらい前に、地名の小字(こあざ)全集を刊行した事はうっすら覚えており、最近どうしているのだろう?と言う事で、話を振ったところ、数年前に亡くなったよ。と言う話を聞いた。

気になって関連情報が無いか調べたら、ご丁寧にもウェブサイト上で紹介されていた。→関連記事Link

評判等に関しては、まさにこの通りで、鬼の教官にふさわしい。とにかく、スパルタという名前であっても10人中10人がそうだ。といてやまない。私もその意見に賛成だ。

私は草野氏にとって晩年の生徒だったんですが、とにかく授業というよりは「作業」というのがふさわしく、地理学とはなんぞやと言うべきだろう。

20年近く前の高校は、何とものどかだったが、ひときわ異彩を放っていた。

私が在学した頃の、教師陣はなにかと「超」がつくほどの個性派そろいで、それ故、今の人間形成につながっているかもしれません。


時代背景は様々ですが、思い出す言葉と言えば「基礎」とはなんぞや。「地理」と言うよりは、「修行」だったと思うくらいである。


とにかく、毒舌という意味では、小柄で眼鏡をかけて、渋い顔をしていた印象が今でも忘れられない。


好きか嫌いか、といえば間違いなく「嫌い」な教員だった。(今でも思い出すだけで嫌な思い出しかありません)
関連記事で掲載されている様に、とにかく緻密だったと思う。

社会科で9クラス(つまり2年次)360人をすべて担当していたと言うから、そのバイタリティはすさまじい。
※授業は各クラス週2時間であるから、18時間担当していた事になる。


少なくとも、こういった名物教官が年々少なくなっている事に何かと危機感を感じているのは私だけでないだろう。


学校の先生に求められているのは、「人気取り」でも「おもしろさ」でもない。

こういった基礎的学問の難しさを体現する人間が一人でもいてよかっただろう。


2006年の夏に逝去したと言うから、享年65歳。と思う。あまりにも早い死だと思う。
あまりにも生き急いだのだろうか。人に手厳しい事を言う以上、自分自身にも過酷なほどのノルマを課していたのは、
退職前に校了した、小字大全で一つの目標を達成した事でしょうか。

誰の言葉か忘れましたが「疲れるまで働くな、無理をするより、無駄をすることが大事だ」と


高校教諭を退職後は、きっと全国を回って活躍したかった事でしょうか。

現役時代の激務が祟った事は想像がつく話で、公務員(特に教師や警察官)が退職後程なくして逝去する話は、よく聞きます。
(私が知る限りでも70前に逝去した先生は、かなりいます)

大学時代の専門科目で教鞭を執った堀井先生(元長崎工業高校校長)は、前期科目の教鞭を執ったあと逝去。
(後年、教鞭を執っていた晩年は、抗がん剤を投与していたと思われる。ニット帽をかぶっていた姿は、当時はどうしてだろう。と思ってましたが、既に余命わずかだったのである。)
さらに数年後には、教育実習の時の学校長だった坂井先生も亡くなった。
一般職の先生方も、把握している限りでは5人以上は既に他界しており、いずれも50代から60代である。


先生という職業は、学校を離れても生涯にわたって先生と呼ばれ続け、そのプレッシャーは大きな事と思います。

先人の様な生き方は自分には到底無理だが、少しでもそれに近づけるよう、一日一日をしっかり行きようと思う。

— posted by admin at 11:16 pm   pingTrackBack [0]

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