今日、電話料金についてNTTへ連絡を取った。
→過去の話題
過去のいきさつから、ちょっとしたことでもすぐに上司に代わるという横暴ぶりにはさすがにあきれた。
小さな親切は、人によってはつい「ありがちな行動」かもしれませんが、私にとってみれば
「コールセンタ」でわかる、ありふれた質問「**月分が**頃請求されるのか?」というごく単純な質問である。
光回線の料金の締め日は末締め翌月末払いというのが基本で、これまでは10日締め翌月10日払いが当たり前だったわけですからこの変更タイミングは実にシビアだと考える。
支払い計画を事前に立てるのは難しく、請求書が発行されるのは実に支払日の10日前であるからそうそう、猶予もない。
別に「NTTの支払いができないほど困窮しているのか?」という訳でなく、事前に確認すべき事は確認してわかればそれでよいのだ。
確かに必要なときには「いやじゃといってかたくなに拒否」して混乱したにも関わらず、平時は安易なことでも大事にするのはすこし違うように思う。
かねてから書いてますが
「小さな親切、大きなお世話」と言いたい。
頼むから、空気を読んでくれ。
[ Tags :: KY ]
小さな親切、大きなお世話
2011-12-20
ビジネスに限らず、私生活において「親切心のはた迷惑」という事があります。
まぁこれが多い事は勿論ですが、結構失敗してきました。
お金を出して失敗したならまだしも信用問題に関わってくるのはなおさらでしょうか。
小さな親切とは「自分は相手にとって良かれ」と思った事であっても、相手にとってみれば「迷惑な話」は多々あります。
私も近頃でこそ、あまり割り込んだ事は減りましたが、昔はよくやっていてそれが自画自賛だった行為に顔を赤らめるばかりです。
その一例はこんな事です
Aさん(業者)はBさん(顧客)に商品説明を行っている。
Aさんは明らかにBさんの質問に答えきれない。
私はAさんが説明すべき事は知っているし、解決策もある。
・・・・。さてどうするか?
これまでであれば、私が割り込んで解決をした。これはBさんにとっては正解であっても、Aさんにとって本当に良い方法だったかは別である。
むしろ逆にBさんは第三者である私が言う事を信頼するかは別である。
仮に正しい事であっても「正しい手順」で無ければ、いけないと言う一つの事例で
「答えがただしくても、手順が間違っていればそれは正解とは言えない」
いわゆる「手順重視」である事でしょうか。
通常期であれば、この手順重視が当然求められますが、生死や事件事故といった一刻を争うときは手順無視もその後の被害等で軽減されます。
それでも、過去に「救急救命士」が医療行為を行った事による「法令違反」で処罰された事は大変記憶に新しい事だと思います。
一命を取り留める事にはなったものの、行為そのものは違反である。何とも言えない状況がここにあるのです。
http://blog.livedoor.jp/himasoku123/archives/51632331.html
なんとかしたい。という気持ちの裏腹には「自分の満足感」を得るものもあるでしょう。
緊急時であっても「手順」をおろそかにするだけでこういったことがあるのを考えると、平常時はなおさらできません。
様々な諸問題を抱えながらも、「小さな親切、大きなお世話」というこの言葉は非常に重く感じます。
時として、「大きなお世話」であっても、すべきだという事もあります。
通常はしなくとも、ここぞと言う時はやはり大事ではないか?
そのように思う今日この頃です。
まぁこれが多い事は勿論ですが、結構失敗してきました。
お金を出して失敗したならまだしも信用問題に関わってくるのはなおさらでしょうか。
小さな親切とは「自分は相手にとって良かれ」と思った事であっても、相手にとってみれば「迷惑な話」は多々あります。
私も近頃でこそ、あまり割り込んだ事は減りましたが、昔はよくやっていてそれが自画自賛だった行為に顔を赤らめるばかりです。
その一例はこんな事です
Aさん(業者)はBさん(顧客)に商品説明を行っている。
Aさんは明らかにBさんの質問に答えきれない。
私はAさんが説明すべき事は知っているし、解決策もある。
・・・・。さてどうするか?
これまでであれば、私が割り込んで解決をした。これはBさんにとっては正解であっても、Aさんにとって本当に良い方法だったかは別である。
むしろ逆にBさんは第三者である私が言う事を信頼するかは別である。
仮に正しい事であっても「正しい手順」で無ければ、いけないと言う一つの事例で
「答えがただしくても、手順が間違っていればそれは正解とは言えない」
いわゆる「手順重視」である事でしょうか。
通常期であれば、この手順重視が当然求められますが、生死や事件事故といった一刻を争うときは手順無視もその後の被害等で軽減されます。
それでも、過去に「救急救命士」が医療行為を行った事による「法令違反」で処罰された事は大変記憶に新しい事だと思います。
一命を取り留める事にはなったものの、行為そのものは違反である。何とも言えない状況がここにあるのです。
http://blog.livedoor.jp/himasoku123/archives/51632331.html
なんとかしたい。という気持ちの裏腹には「自分の満足感」を得るものもあるでしょう。
緊急時であっても「手順」をおろそかにするだけでこういったことがあるのを考えると、平常時はなおさらできません。
様々な諸問題を抱えながらも、「小さな親切、大きなお世話」というこの言葉は非常に重く感じます。
時として、「大きなお世話」であっても、すべきだという事もあります。
通常はしなくとも、ここぞと言う時はやはり大事ではないか?
そのように思う今日この頃です。
— posted by admin at 11:37 am TrackBack [0]