先日、某隣国の方がフェイスブックに顔写真を載せていたのですが、
気づいたら承認制といった制限がかかったことは記憶に新しいことと思います。
この方の場合は関係者がいろいろ訳ありですから当然といえば当然かもしれません。
そんなフェイスブックですが、あるブログを探していたら、いつの間にかブログの記事は非公開にしたのかあるいは削除したのか真相は謎ですが、その代わりにフェイスブックとツイッターが増えていました。
私もこっそりですがどちらもアカウントは開設しているものの、あまり活用の兆しがなく放置プレイな感じです。
その検索で見つかったフェイスブックのユーザですが、ご丁寧にもご家族の方もされているらしく、あらかたの家族構成が見えてしまう結果に。
こういった問題はかねてから危惧していたことで、実名で掲載の上、生年月日までオープンにしていることが多く、さらには顔写真まで載せていることがあるわけです。
海外では当たり前といいますが、個人情報をあまりオープンにしない日本人からするとどうしても怖い感じを受けます。
これは、昨今のストーカーといった案件はもちろんのこと、各種なりすましの温床になりかねない指摘もあるため、非常に注意を払うべきことでないかと思います。
ただ、インターネットというのは誰でもオープンにその情報にアクセスできるところに良さがあります。ブログを探したついでにフェイスブックが見つかってその上で、家族のリンクが見つかったとき感じたのは「他人の家に勝手に入った気分」が表現としては正しいかもしれません。
すなわち「他人のプライバシーをのぞき見している」罪悪感すら感じてしまうのです。
私は、プライベートな話題をネットで書くことは控えるべきだと常々申し上げています。
もちろん全部が全部だめでなく、記述内容はよく考えるべきだといいたいのです。
フェイスブックをやり玉に挙げるつもりは毛頭ありません。
これからの動きは確実にフェイスブックをはじめとした「ソーシャルサイト」にシフトしており、SNS国内大手のミクシィもフェイスブックと同様なサービスを始めたことは記憶に新しいことです。
今まで、個人のちょっとした動向はごく近隣しかわからないのが、今では自発的に?情報を開示しているわけですから恐ろしい時代になったのと同時に「誰かに聞いてほしい。寂しい」という感じすら受けてしまいます。
ツイッターの流れているコメントを眺めながら、私自身もいろいろ考えさせられたり、時折コメントを流し入れたりしていますが、発信する言葉の一つ一つが大きな意味を持つだけに慎重に言葉を選ぶようになりました。
個人情報が簡単に入手できる非常に怖い世の中になりました。