今日はある事案でメールを読んだ
その内容がなぜか、上から目線だった事に書いた本人は気づいていない。
普段の私なら「烈火のごとく」文句を言うのだが、言わない。
なぜなら「どうでも良い」からである。
私が言わなくとも、誰かがプチッと切れて・・・っていう事はこのご時世余り無い。
私も良く、お客さんから怒られる事は多い。
仕事として考えても、私の落ち度がほとんどなので当然であるんですが、
自分の間違いを正してくれるお客さんは正直少ない。
私は長崎という土地柄もあり、私の事を良く叱る方が何人かおられる。
私は大学を卒業してからこの仕事を始めている。
ウェブサイトで公開しているように、今年で10年だ。
今も良く失敗ばかりしている私にとって、人生の先生は多くいる
そういう意味では、先生と呼べる方々に囲まれて今の自分があると思うだけに
つい手をさしのべたくなるのだが
実はこれが間違いだったようだ。
あえて気づかないふりをする
聞いて話を受け流す
いろんな場面を見てきた自分にとって、今回の件は決して対岸の火事ではない。
正直不幸な事は、真剣に物事を考えていない人
自分がやり通すと言う気構えが無いと言う事。
私の会社は常に「サバイバル」であり、「結果至上主義」というとんでもない所で仕事を行っている。
私の中では「業者とは、自分より知識が有り、経験を持ち、専門的見識がある」という定義がある
これは、「プロ」としてお金をもらい、仕事をしている立場からすればどれも当然のはずだ
ただ、そういうことを思いながらも私の中では「口やかましく言ううちが良い」と思ったがどうやら違うようだ。
すなわち
「人間言われるうちが花」という事を身をもって知った
言いたく無い事は多々ある。
ただ、誰かが言わなければいけない。
温室育ちは寒さ・暑さを知らない
あえて言う
ある会社は個性を「トンガリ」といった。
人間言われるうちが花である。
言われなくなれば、いつの間にか忘れられ
そして枯れて無くなる。
たった一言の「言葉」がその人を「幸せ」にするが、たった一言がその人生を左右する。
少し歳を取ったようだ